今年も無事にサギ達が帰ってきてくれました。春先から少し寒さが続いたせいか渡ってくるのが遅かったようですが、昨年(2004年)と同じ海岸沿いの保安林にコロニーができています。ゆうちゃんのサギの追っ掛けも2年目に突入。相変わらず写真を撮りまくっていま〜す。

 しかし、またまた問題が生じてきました。コロニーと田んぼなど餌場との通り道にあたる何軒かの家が、糞害を訴え、上を飛ぶサギに向かってロケット花火を打ち上げているのです。コロニーに近い家では、雨の日など悪臭に悩まされているようです(確かに少し糞臭を感じました)。

○写真1:バリの「鷺の村」プトゥルゥ村の入り口。
(Photo: Michiro Umeda. Bali 2005)

 こうしたサギと人間とのトラブルは日本中で起こっていて、後を絶ちません。重機で一掃するなどの暴挙が新聞沙汰になっているケースも多くみられます。元々、小規模なコロニーが点在していたはずなのに、一ケ所でサギの追い出しが始まると、次の場所ではこれまでいたサギと追い出されたサギが一緒になってより大規模なコロニーになり、その分問題も大きくなって、また追い出され‥‥と雪だるま式にふくらんで、そしてドミノ倒しのように問題が広がっていくのです。今の保安林のサギ達も、周辺の地域から追い出された末に辿り着いた結果で、彼らにとってもけして望んでそこに住み着いたわけでもないし、また住み良い場所でもないようです。

 このままではトキやコウノトリの様に絶滅してしまう恐れがあります。一体どうしたらサギと人間がうまく共生できるようになるのでしょうか? その仕組みや方法を考えることが「愛」と「知恵」を持つ人間のするべきことではないのでしょうか?

○写真2:村の中の通りの様子。
(Photo: Michiro Umeda. Bali 2005)

 そのサギと人間が上手に共存している場所があるらしい。それがバリ島中部にある小さな村「プトゥルゥ村」です。プトゥルゥ村は、以前僕らが滞在していた「芸術の村」ウブッ(ド)から北へ4kmほどのところにある。僕らはまだ行ったことがなかったのですが、バリ在住の友人・梅田道郎氏が写真を送ってくれました。また、バリつながりの栃木の友人・君嶋夫妻が、プトゥルゥ村のサギについての記述がある『ウブッド十字路の番人』*1という本を紹介してくれました。バリでは白鷺のことをKokokanと呼んでいる。
 その本によると、プトゥルゥ村にサギ達がやってきたのは1965年11月7日とされている。バリック・スンパーと呼ばれる大切な儀式が行われた12日後のことだという。

○写真3:チュウサギだと思う。2〜3mの距離でも逃げないらしい。
(Photo: Michiro Umeda. Bali 2005)

 「それまでは燦々と輝いていた空が突然真っ暗になり、奇妙な鳴き声が聞こえ始めた。‥‥大空の扉を閉じたのは誰だろう? 昼の日中に美の神秘の歌を歌うのは誰だろう?
 空を覆った影には沢山の隙間があり、規則正しく動いているのが見て取れる。交差する鳥の翼の羽ばたきが見えているのだった。大空を覆ってしまったのは白鷺の群れの羽ばたく翼だった。‥‥鳥たちは風を切って飛び、プトゥルゥ周辺を旋回した。白鷺は人間の愛を求め、プトゥルゥの村人たちは愛と平和をもって両腕を広げ、彼らを歓迎した。‥‥
 このようにして女神の使いである白鷺の群れはプトゥルゥ村に住み着いた。鷺たちの生活とプトゥルゥの住人たちの生活が一つになることは、女神のお望みだったのだ。」(『ウブッド十字路の番人』より)

○写真4:アマサギ。かわいい♥
(Photo: Michiro Umeda. Bali 2005)

 本によるとサギ達は「王である黒鷺」*2に率いられて来たとあるが、そんなことがほんとうにあったのかは分らないが、最初に七千羽のサギが住み着き、さらに何千羽が後からやってきて一万五千羽余りの大群になったというから驚きだ。

○写真5:村の田んぼの風景。どこかにサギが写っているのかな?
(Photo: Michiro Umeda. Bali 2005)

 現在のプトゥルゥ村にどれ位のサギが来るのかは定かではないが、観察小屋が土産物屋の奥にあったり「白鷺の村」として観光スポットのひとつになっているらしい。
 観光化も含め、サギと人間とがどのように共生しているのか具体的には調べてみないと分らないが、白鷺を「女神の使い」として敬い、受け入れるバリの人の信仰心や世界観・自然観にはとても感心させられる。が、そうした気持ちは本来、日本人にもやはり共通するものなのではなかったのかと思うのですが、近代化とともにどこかに置き忘れてしまったのでしょうか。(え)