暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものです。記録的な猛暑の続いたこの夏の最後に、僕の大好きな画家・田中一村の展覧会が千葉市美術館で開催されているのを知り、行って来ました。NHK日曜美術館での放送の効果もあってか、平日にもかかわらず沢山の人が詰め掛けていて、改めて田中一村の人気ぶりを実感しました。

 「田中一村〜新たなる全貌」と題されたこの展覧会は、一村の栃木〜東京時代、千葉時代、奄美時代の3部構成で、約250点というこれまでで最大規模の作品が展示されているという。あまりの数に奄美時代に入る頃にはかなり疲れており、全部観終えると3時間位たっていて、もうヘトヘト。いや〜でも、ほんと充実していました。

 ●「田中一村〜新たなる全貌」チラシ

 前回は'06年、一村の生まれ故郷である栃木市・蔵の街美術館まで観に行き、はじめて生の一村に触れて衝撃を受け、今回は一村が20年余りを過ごした所縁の地・千葉市で、その画風の変遷に改めて驚かされました。まあ、60年も描いていれば変わらない方がおかしいのかもしれませんが、奄美に渡った50才からの変貌ぶりは見事です。「やっぱりゴーギャンとかルソー辺りの影響もあるのだろうか?」とか「ひょっとしたらバリ絵画も観ていたのかもしれないなぁ?」とか、あれこれ考えてしまいます。何にしても、「奄美」との出合いがもっとも大きな「運命」だったのでしょう。

 でも「なんで奄美だったのだろう?」といのが素朴な疑問です。一村にもやはり「南方」への憧れがあったのだろうと思うのです。あるいは、とにかく寒いのがキライだ!!っという単純な理由かもしれない。東京・千葉時代の作品の中にも棕櫚(シュロ)や蘇鉄(ソテツ)といった南方系の植物が題材になっている作品がいくつかあり、その奇妙なフォルムは「南方」に直結しているし、度々登場する色鮮やかなコウライウグイスなどの鳥たちも「南方」に誘っているようだ。千葉時代の終わり、九州への旅行が決定的だったのだろう。海の向こうにはすぐトカラ列島と奄美郡島が続いているのだから。

 一村が奄美に渡った昭和33年当時、奄美も復帰してまだ間もなく、沖縄はまだアメリカの占領下にあった。奄美は日本の最南端だった。もし、沖縄が既に復帰していたら一村は沖縄に渡っただろうか。それは分らないが、もしも沖縄に渡っていたとしたら一村の画風は相当違ったものになっていたのは間違いない。奄美は亜熱帯だが、沖縄と違って雨の多い日本海性の気候が、奄美の一村作品の明るく色鮮やかないかにも「南国的」なものと、もう片方にある暗い森と空が織り成すモノトーンな画風を生む大きな要因となっているのだろう。それは日本画的な感覚にすんなりと通じる感覚へと繋がっているはずだ。

 この異彩を放つ南方系日本画家・田中一村に僕は勝手に親近感を抱いている。いつか奄美の田中一村記念美術館を訪れてみたいし、できれば南の島のどこかへと移住したいとも思っている。(え)


●「田中一村 豊穣の奄美」大矢鞆音・著 NHK出版